政治理念

「古い政治を一掃する」

地盤・看板・鞄なし あるのは「志」のみ
私が政治家を志したきっかけは東日本大震災でのボランティア活動でした。
辺り一面がれきの山。あんなにも混迷を極める中、生きる事を強いられた被災地の方が前を見て直向きに生きようとしている姿をみて「普通の人が普通に暮らせる世の中にしなければいけない」と強く思いました。
あの惨劇は今でも忘れることができません。
そして皆さんに忘れていただきたくないのは、あの時政治家がした「約束」です
あの時政治家は、こう約束しました。
議員定数の大幅削減
復興財源の確保の為に国会議員の給料を2割カットをする
しかしながら、復興の目途も、議員定数削減の目途もついていないにも関わらず、たった2年で給料のカットは終わってしまいました。
国民の皆様のお財布には同時に増税されました。
復興特別所得税は25年間
住民税は10年間
所得税に関してはいまだに増税が続いている状態です。
そして2020年。議員定数は大幅に減るどころか参議院議員の定数が6議席増えてしまったことは記憶に新しいでしょう。
あの時の約束はどこに行ってしまったのでしょうか。
国会議員だけは特別なのでしょうか?
消費税は増税され、社会保障費も年々上がり、年金には不安が残る。こういう状態なのに一向に、国会議員の特権だけは守られ、国会は改革が進みません。僕らの子供達の為に、そして僕ら自身の為に改革を前に進めなければいけません。

時代は大きく変わった。未来の時代へ

人口増加経済成長の時代から、人口減少、少子高齢化の時代に、世界でも経験をしたことがない未曾有な時代に突入をしています。
昭和の時代に作られたシステムを、微修正、微修正する弥縫策の古い政治はもう終わりにしなければなりません。
古い政治が続けられてきた結果、私が育ってきた平成時代は、世界と比べても経済成長をすることはできませんでした。
平成初期に上位をずらっと日本企業が占めていた世界企業時価総額ランキングも、この30年で軒並みランキングから姿を消してしまいました。
日本が古い政治を続け、既得権益を守る規制で雁字搦めになり身動きが取れないでいる間、世界では改革が進み、多くの新しい企業が躍進しました。

令和の時代。平成の時代と同じことを繰り返してはいけません。
私たちの子供の世代には、世界を牽引する明るい日本を残せるよう、この根強い問題に、一石を投じたいと思い、今回政治家の道を決断いたしました。

維新の一丁目一番地は身を切る改革。

身を切る改革とは、財源の確保だけが目的ではありません。

普通に暮らす国民の皆様の苦しみや悲しみを全部は無理でも一部を共有することによって、真の政治ができる。国民に寄り添った政治ができる。
これが身を切る改革の最大の目的だと私は思います。
東日本大震災が起きてから現在まで、日本維新の会は所属している議員の議員歳費を独自にカットをしてきました。
この身を切る改革で集めた資金は、東日本大震災の被災地や、熱海市で起きた熱海土砂災害の被災地や、医療機関などに寄付をしています。

パフォーマンスではなくて実際に行動している政党こそが
「日本維新の会」

古い政治をこのまま続けていくのか、

それとも新しい政治にしていくのか。

いよいよ選択をする時が来ました。

このまま古い政治を続けてもすぐにはダメにはならないかも知れません。

しかしながらこの閉塞感漂う状況は決して良くなることはありません。

何十年も続いてきた古い政治体質を静岡6区から変えるため、

一度、この山下こうきに夢を、希望を託していただけないでしょうか。

日本維新の会へ公募した際の一部志望動機を公開

◆志願する動機をお書き下さい。
今の政治体制の中、物事をすぐに変えることはできない。憲法改正、地方分権、日本経済の回復、社会保障、どれの問題も今から議論を始めたとしても10年20年スパン、それ以上かかる可能性もある。その年数は、私の子供が成人して働きだす年数である。
それまでこのまま日本は維持できるのか?いや、維持できない。
この30年で世界企業時価総額ランキングから日本企業がトヨタを除いて軒並み姿を消した。日本が規制で雁字搦めになり身動きが取れないでいる間、世界では改革が進み多くの新しい企業が躍進した。このまま、日本だけ旧態依然の前例踏襲や古い政治体制のまま世界と戦っていけば結果は目に見えている。
このままの日本を子供世代に残していいのだろうか。私の答えはNOだ。だとしたら、今このタイミングで自らが犠牲となってでも未来の為に、抜本的な改革の声を上げなければ、日本の将来はない。そう思ったことが今回公募に応募をさせていただいた動機であります。
しかしながら、私はここ5年間改革の声を上げることの大切さを忘れておりました。
民主党が下野してから9年、日本政治の政党の有様は大きく変わりました。政権交代を成しえるまともな野党はいなくなり、私が期待していた二大政党の一翼を担える保守派の議員の方々は、少しの足掻きを見せたものの、利権や踏襲政治により雁字搦めなって大きな動きが取れない自民党へと入党をしていってしまった。
そこには、政治家として様々な理由があるだろう。
しかし、どのような理由を付けたとしても、結局、一人では日本の政治体制を変えることはできないのだと私は理解した。変えるとしたら、地元の名士となり、自民党から出馬をし、自民党内で登り詰め、少しずつ日本を変えるしかない。と日本の政治の現状に絶望をしておりました。
そのような状態の私に「少数派でも、例え一人でも、魂を持った本気の声は何かを変えることができる」と闘志を付けたのはコロナ対策での一コマがきっかけであります。
「公明党が反旗を覆した結果、収入減世帯への条件付き30万円給付という閣議決定まで通った自民党の方針が一転、一律10万円支給へと大きく舵を切った」というニュースを見たときに、ニュアンスは違えどその時改めて、少数派でも魂をもって本気で発言を続けていけば変えることができる、いや変えられる。自分も声を上げようと一人で興奮をしたのです。
そもそも、私が政治に興味を持ったのは学生の頃であります。きっかけは主に3つ。
一つ目は、高校生の頃に知った諫早湾干拓事業。環境学に興味を持っていた私はこの事業を知ったときに国のあり方について考えるきっかけとなりました
2つ目は、福岡事件再審請求運動のボランティアを通じて、権力の怖さ、司法の責任の重さを知ったことです。
そして3つ目は、東日本大震災です。震災直後3月15日から2週間ほど被災地へ向かい、何も分からないまま現地の人と悲しみ、汗を流し、混乱渦巻く中活動をいたしました。そこで直向に前をみて頑張って生きようとしている人々と出会い「普通の人が普通に暮らしていける世の中にしなければいけない、正直者が馬鹿をみる世の中ではいけない」と改めて強く感じ、政治家を目指す決意をいたしました。
公平・公正を目指して抜本的な改革を行っていく。長くて大変な道のりであることは身近で感じよく分かっておりますが、誰かがやらなければならない。誰かがやらなければならないのであれば私が立ち上がりたい。
そして、利権や前例踏襲が渦巻く自民党ではなく、真に国民の将来、日本の将来の為に活動できるのが、日本維新の会という舞台であると思っております。
これが私が、日本維新の会の公募に応募させていただいた動機でございます。

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